
昔やっておいて良かったなと思うことに製材がある。木の塊を縦引きにして板を切り出し、ヒビや節を回避しながらキセル状のスティックをとっていく。体を動かして覚えたことはずっと残るものであって、自分にとってはかけがえのない財産である。「この弓はあの時の木と同じ材料だ」といった感覚は製材をやって多くの材料を見ないと身につかない。同じ弓の材料でもブラジルウッドではそのような感覚はなく、どれをとってもさほど材料として変わりがなく面白味がない。ペルナンブーコは見た目も材料としての質にも幅があり、比重も0.9ぐらいから1.3までのばらつきがある。それぞれの材料で弓が作られたため、オールドボウには色々な形や寸法のものがある。
自分の職を川に例えた場合、上流にあたるのが木を製材することだ。下流には修理、修復があり、中流には製作がある。最初の一滴にあたる水源はブラジルの森に生えている木で、自分はまだこの水源には辿り着いていない。これらをちゃんと循環させていくことが業界にとっても必要であることは間違いないが、昨今の状況下ではそう全てが上手くいくものではない。楽器職人にしても上流域の仕事を経験しておくことは本来必要なものである筈で、アメリカのソルトレイクの学校では丸太をカットしに行く授業がある。使えるようになるまで時間がかかるので、誰かが製材しシーズニングしてくれたものを使うことになるが、可能な限り上流域で色々な材料を見て試していく中で、材料と楽器として仕上げた時の音のイメージがリンクしていくのだろう。
知り合いの楽器職人が「楽器は色々気にしなきゃならないものが多くて大変」とぼやいていたが、確かに良いものをストックしておこうと思ったらパーツが多くて大変だと思う。表板に裏板、ネック材、横板、指板、駒にフィッティングets。これらに対してもいつか規制はかかるだろうから、その時に備えておけとしか自分には言いようがない。「指板はスイスの代替材(Sonoウッド)にしようかな」と前述の職人が話していた。最上級の黒檀材が市場にないからだ。ボソボソの指板を使うぐらいだったら人工で見栄えの良いものを使ったほうが良いと判断する人が出てきている。黒檀は全面的に禁止となる前にトップクオリティーの材料不足から代替材への移行が進むのかもしれない。